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2026/03/08
ほっとひと息『鍋奉行』
冬の間、家族や友人と鍋を囲んで、温かなひとときを過ごした方も多いのではないでしょうか。大勢で鍋料理を囲むと、自然と「鍋奉行」と呼ばれる役割の人が現れます。具材を入れる順番や火加減を仕切るその姿は頼もしいものです。しかし、ときには鍋に対するこだわりや情熱のゆえに、自分なりの鍋ルールを周囲に求めてしまうようなことがあるかもしれません。頼もしくも融通の利かないそんな姿を「奉行」という言葉はうまく表しています。
近年、インターネットの世界では、特定の物事に関して、細かな誤り・間違いを指摘する存在を「〇〇警察」と呼ぶことがあります。コロナ禍で話題になった「自粛警察」などを耳にされた方もおられるでしょう。人は、自分が大切に思っていることや情熱を注いでいることほど、他の人の小さな間違いが気になってしまうものです。しかし、細かな点にこだわるあまり、本来の目的や大切な心を見失ってしまっていることはないでしょうか。
聖書には、律法を厳格に守るパリサイ人と呼ばれる人々が登場します。彼らは律法で定められた安息日を守るために、安息日にしてはならないことを細かく定めていました。そして、安息日に病人を癒されたイエスを訴えようとしたのです。そのとき、イエスはこう言われました。「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか。いのちを救うことですか、それとも殺すことですか。」細かな規則に目を向けるあまり、律法の本来の目的を見失ってしまっていることをイエスは指摘されたのです。
鍋料理の目的が、みんなでおいしい食事を楽しむことであるとするならば、食事が楽しめないほどに厳格な鍋奉行は的外れであると言えるでしょう。私たちも、「こうでなければならない」と強く思うときこそ、一歩後ろに退いて、その本当の目的が何であるのかを見つめ直すのがよいのかもしれません。
近年、インターネットの世界では、特定の物事に関して、細かな誤り・間違いを指摘する存在を「〇〇警察」と呼ぶことがあります。コロナ禍で話題になった「自粛警察」などを耳にされた方もおられるでしょう。人は、自分が大切に思っていることや情熱を注いでいることほど、他の人の小さな間違いが気になってしまうものです。しかし、細かな点にこだわるあまり、本来の目的や大切な心を見失ってしまっていることはないでしょうか。
聖書には、律法を厳格に守るパリサイ人と呼ばれる人々が登場します。彼らは律法で定められた安息日を守るために、安息日にしてはならないことを細かく定めていました。そして、安息日に病人を癒されたイエスを訴えようとしたのです。そのとき、イエスはこう言われました。「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか。いのちを救うことですか、それとも殺すことですか。」細かな規則に目を向けるあまり、律法の本来の目的を見失ってしまっていることをイエスは指摘されたのです。
鍋料理の目的が、みんなでおいしい食事を楽しむことであるとするならば、食事が楽しめないほどに厳格な鍋奉行は的外れであると言えるでしょう。私たちも、「こうでなければならない」と強く思うときこそ、一歩後ろに退いて、その本当の目的が何であるのかを見つめ直すのがよいのかもしれません。

